(18)活動方針、コミュニケーション
(注)ここから、少し・・・いや、かなり愚痴が入るので、不快に思われる方は、お読みにならないで下さい(笑)
プレー以外のこともチームを作っていくためには、非常に重要だと、この3年間で痛感させられた。
子供たちの間に、イジメに近い状況(もしかすると完全にイジメだったかも)が出来たりしたこともあったし、一部の保護者が選手の起用方法や、指導方法について、猛然と抗議してきたり。
男女合同チームだったこともあり、保護者が子供の性別で派閥のようなものが出来て、お互いがいがみ合っているような話もよく聞いた。
大勢の人が集まることなので、そういうことが起きるのは仕方ないとしても、そんな諍いや、すれ違いは、なるべく小さくして、みんなで仲良くチームを盛り上げたいというのが本音。
そのために、プレー指導より遥かに理想論かもしれないが、指針を作っておこうと思う。
☆活動方針の共有・統一
まずは、これを皆が共有することが一番ではないかと思う。
子供も保護者も指導者も、その他チームに関わってくれる人たち(学校関係者など)にも、私たちは、こういう方針で活動しています!と言えるチームになりたい。
そうすれば、何か問題が起こったときでも、その方針が、すべて判断基準になって、皆が納得、もしくは承諾できる方法が見つけられると思う。
そして、その最たるものは、≪子供たち一人ひとりの笑顔のために≫であるべきだと思う。
その下に、チームの目標などの活動方針を決めていくべきだと思っている。
当たり前のことのようだが、いろんな人がいて、これがなかなか難しい。特に≪子供一人ひとり≫ではなく、≪うちの子供が≫と、なりがちだから。
☆コミュニケーションの重要性
方針の共有・統一するためには、コミュニケーションが大切なのは言うまでもない。
・ 子供⇔指導者
・ 子供⇔保護者
・ 保護者⇔指導者
・ 子供⇔子供
・ 保護者⇔保護者
・ 指導者⇔指導者
関係性をあげれば、こんなにもある。
しかも、子供の人数が増えれば増えるほど、コミュニケーションを取る相手が増えていく。
家庭や仕事の事情で、チームの活動にあまり協力できない人もいるやろうし、そういった時間的・金銭的制約がなくても、面倒臭がったり団体行動が嫌いだったり、もともと子供がバスケすることに反対していたという感情面で非協力的な人もいる。
そういった人たちと、どうコミュニケーションを取っていくか・・・
非常に難問である。
ただ、子供と親の間でコミュニケーションがしっかり取れていたら、家で楽しそうに子供がバスケの話をすることが多ければ、自然と感情面は変わってくれるかもしれない。
ならば、日ごろの練習で、どれだけ子供たちにバスケを楽しませてあげられるかという指導者の手腕が必要になってくると思う。
そのためにいろいろと指導方針を考えてきたわけ(笑)
ただ、子供と親のコミュニケーションが上手く取れていない家庭というのもやはり存在する。
偉そうに言ってる俺の家庭でも外から見れば上手くいっていないと思われている可能性も大いにあるし(汗)そういった家庭で、コミュニケーションの取っ掛かりとしてバスケが関われたら言いことないのになぁ・・・とよく思う。。。
ま、そんな個人的な愚痴は置いといて(笑)
大人同士のコミュニケーションは、やはり呑みニケーションが一番だと俺は思ってる(笑)
当然、アルコールが苦手な人もいるやろうし、酔いが回りすぎて、余計こじれる可能性もあるけども、体育館で数分立ち話していても、そうそう仲良く、なんでも言い合える仲にはなり辛い。
ランチなどでは、座っている時間が少なく、打ち解け始めたころに解散となることもある。
なので、やっぱり最低でも2~3時間、落ち着いて話し合える環境・・・と考えると夜に呑みながらってのが俺的には理想。
居酒屋でも良いし、誰か自宅を提供してくれれば、もっと良い。
その人の生活に触れるというのは、親しみが湧きやすいからね。
ただ、頻度が多すぎると疲れるほうが勝ってしまうが、少なくとも年度の初めと各公式戦終了時点で、そういう席を設けて、それまでの反省や今後の指導方法の修正や説明を話し合えたら良いなぁと思う。
指導者同士は、それこそ毎週か毎月の頻度で練習メニューの打合せと成果の確認をしていきたいものだ。
これは、集まらなくてもメール等で済ませられれば一番良いくらい、まずは指導者同士のコミュニケーションを取っておきたい。
☆バスケに対する温度差
これも非常に激しい学年を経験した。
ある家庭や指導者は、勉強をしなくても良い!(さすがに、これほどストレートな表現はしない(笑))バスケだけを一生懸命頑張る!地区予選優勝!というような熱さから、バスケは運動不足解消。試合には時々勝てれば良い。
楽しくない、しんどい練習はしたくない・・・などの冷めたというと語弊があるかもしれないが、そういう家庭、子供もいた。
こういう温度差も、チームの活動方針が充分なコミュニケーションを取らずに一部のスタッフのみで決めたり、新入部員を募集する時に公表していなかったりするのが原因だと思う。
特に、今回指導していたチームは途中から部員不足に陥ったこともあり、体験入部などのときは、俺がしたいと主張してきた練習を俺が主導で行って、それなりに好評で正式入部があったのだが、実際入部してみると、平日の活動には当然俺の姿は無く、俺のメニューでもない練習を怒鳴られながら黙々とやっている高学年を見ることになったので、さぞかし入部前のイメージと変わってしまったことやろね。
そういう体制も、温度差を生む要因だったんやないかと俺は思う。
こういうところは、しっかり改善していきたいし、時には笑顔で、時には真剣にプレーする子供たちを普段の練習でも見れるのが理想。
そうならないためにも、次項のようにチームの目標を決めるべきやと思う。
☆チームの最終目標(公式戦)は子供たちの意思
ここまでは、大人側の事情や都合の話が多かったが、今度は、実際にプレーする子供たち自身が何を目指すかという話。
前項のように、公式戦の目標を一部のスタッフが決めて、それを保護者にも知らせず、子供たちに押し付けるなんてことは絶対したくない。
プレーするのは、あくまで子供たち。
だったら、自分たちの目標は自分たちで決めるのが当然の話。
新しい(年度)のチームで活動を始める時、一番初めに子供たちで話し合わせて目標を設定する時間をつくる。
小学生なので、いくらキャプテンを決めていたとしても、それほどリーダーシップを取れるわけでもないし、そこは指導者や保護者の代表が力添えをするのはやむを得ないが、話のキッカケや結論が纏まらないときだけに限定する。
そして、結論が出たら、それを子供から、それぞれの親に、しっかりと伝えることをしてもらいたい。
そのほうが、指導者やチームの役員から聞くよりも良いと俺は思う。
☆勝敗への拘り
ミニバスの精神は、「友情、ほほえみ、フェアプレイ」とルールブックに明記されている。
けど、これは、勝ち負けにまったく拘るなってことではないと思ってるし、実際にそうだと思う。
ゆとり教育だとか言い出した頃に学校の運動会の徒競走とかで順位を決めないみたいな風潮になったけど、それはあくまで学校教育での話。
ホントは学校教育でもそんな風潮は個人的には不要やと思ってるけど(笑)
しかし、ことスポーツに関しては、必ず勝敗がついてくるもの。
ここは間違いない。
なんのためにたくさんの時間を使って練習するのか、どうして試合をするのか、なぜ大会は優勝チームを決めるのか。
そこには、常に他のチームに勝利するっていうのが目標にあるから頑張れる。
逆に、そこを頑張らないんであれば、大会に出る必要もなく、対外試合自体不要だと思う。
前述したように、子供たちが自分たちで決めた目標が、勝ち負け関係無しに、楽しくバスケできれば良いというものをたてたなら・・・だ。
けど、実際に練習試合や大会に出て、一度でも勝ちを味わったら、負け続けたなら、必ず子供たちは、もっと勝ちたい、負けたくないって気持ちが芽生えるのが自然だと思う。
練習した成果も試合をしなければわかりにくいからね。
だからこそ、練習は、試合に勝つために行うべきである。
ただ、勝利至上主義とは、また違う。
試合というのは、勝つために日ごろ一生懸命練習してきたことを発表する場。
その結果、勝つこともあれば負けることもある。
相手があることやからね。負けたってことは、相手より自分たちのほうが、何かしらが劣っていたってだけで、負けたら全部ダメってことでは決してない。
子供というか、人間って、失敗を経験して成長していくものだから。
勝って嬉しいというのも大事やけど、負けたときに、何故負けたのかを考えて改善していくプロセスの方が小学生には一番大事やと思う。
大差がついてしまうと、試合中に諦めてしまうことも子供はよくある。
それを頭ごなしに「諦めるな!」「やる気無いなら辞めろ!」などと怒鳴りつけても、子供の心は育たない。
そのときは、少し奮い立てる子供いるかもしれないが、その逆に萎縮してしまう子も沢山いる。
そして、次に同じ状況になれば、また同じように子供は諦めてしまうから。
そうならないように、試合の中で、そのあとの練習で、大差で負けないようにアドバイス・指導をして、子供に成長する方法を教えてあげるのが指導者の役目やと俺は思う。
試合全体の勝ち負けだけでなく、上手くいったプレーが何故出来て、試合中のミスしたプレーは何故そうなったのかを自分で原因を考えて、いろんなことにチャレンジしていくことを教えたい。
そして、その成果が試合にでて、充実感をもてる結果が出れば、子供たちは改善していく楽しさを感じられて、大差がつこうとしているとき、ついたときに諦めずにプレーを続けられるのではないだろうか。
そうなってくれれば、俺は一番嬉しい。
0コメント