(15)如何に無駄を削ぎ落とせるか…その1(話を上手く伝えるためには)
前項の最後にも書いたが、これらを実際に全てするには膨大な時間が必要になる。
したがって、必要ない過程や続けても効果がない場合や、時間的制約が必ず出てくると容易に想像できる。
初年度は、全ての選手に1から全てを教える必要があるが、次年度以降も同じやり方を継続するのであれば、一部の選手が指導役に回れるかもしれない。
教えることで、逆に教えられること、考えることも多くなり、選手の成長に繋がる。
これも前項に書いたとおり。
まずは子供たちの知識を増やすこと、いろんなメニューを体験させること、常に自分で考える意識を植え付けること、そして、指導者の話の理解度を高めることが大切になる。
そのためには、練習の開始、新しいメニューの導入時の説明などの工夫がいる。
練習の開始や試合前のミーティングでは、その日の目標を伝え、それを子供たちに復唱させてみる。
目標は、できるだけ短いキーワードで1~3個に纏めたい。
そのキーワードを子供たちに覚えさせることで、練習中に、そのキーワードを伝えれば、その意味が通じるようにしておきたい。
そのためには、指導者の話に子供たちを集中させなければならない。
しかし、これがかなり難しい。
内容が理解出来ていないなら、それは、指導者の説明の仕方が悪いってだけの話なので、同じ説明でも表現を変えてみたりして、重複するのは指導者が悪いのだが、話を聞いていなくて、いざ動いてみようといっても、何をどうしたらいいのかわからないってことの方が多い。
この時間は、非常に無駄に感じる。
まずは、当たり前のことかもしれないが、指導者は選手に尊敬される努力がいる。
自分が尊敬している人の話というのは、自然と熱心に聞こうとするものなので。
では、どうすれば尊敬されるか。
バスケのプレーで尊敬されるというのが、もっとも簡単ではあるけども、それよりも有効なことがある。
それは、その人の言葉、アドバイスで上手くなった、勉強になったと実感させること。
これは、何も難しいことではない。
例えば、ドリブルが苦手な子供に、何らかのコツを教えてあげたり、少し遠いところからシュートが届かない子をいつもより遠くまで届くようにしてあげるとかで充分で、もっと言えば、バスケに関係ないことでも構わない。
勉強であったり、雑学であったり、その子にとって、関心の高い物事を自分より詳しく知っている大人であれば、どんな小さなことでも子供たちにとっては、目からウロコ状態で、次からは輝いた目で指導者のことを見てくれる。
ただ、注意することが一つある。
それは、上から目線で押し付けがましく話さないこと。
「なんや、そんなことも知らんのか」とか、「前から何回も言うてるやろ」などの言い方は絶対にしてはいけない。
子供たちに限らず、人間は、知らないことが当たり前で、自分の興味のないことは記憶に留まりにくいのが普通だから。
だから、同じドリブルのコツを複数に同時に教えたとしても、ドリブルが上手くなりたい!と願っている子には伝わるが、早く帰りたいとか、シュートしたいなぁ・・とか思ってる子には通じないものだと、常に指導者は意識しておくべき。
同じアドバイスでも、するタイミングが重要ということ。
だから、何度も繰り返し同じことを教えることが必要なのである。
そして、子供と話すときは、少し年上程度の立場というか、出来るだけ同じ視点の話し方が大事。
これらは、俺が指導してきた実体験からの教訓である。
あと、ほんの短期間しか実践していないが、たくさんの子供たちに同時に話をするときに子供たちの注意を、指導者に向けさせるのに、意外と効果があった方法がある。
練習の合間に、説明等で指導者のところに集合させることが普通にあると思う。
その時に、話している本人が自分の顔の近くに指でサインをつくる。
上を指差せば1回ジャンプ。下に指差せば座る。
行動が一番遅い、または極端に遅い複数の子、時には最初に出来た子以外の全員に、ペナルティとして、近くのラインまでダッシュさせるなどゲーム性を持たせる方法だ。
(ペナルティを全体責任にしてしまうと、同じ子供ばかり遅いと、最悪の場合、その子へのいじめへと発展する可能性があるので注意)
これは、話している人の目(顔)を見る癖をつけるのに有効だった。
俺が小学生の時は、親や教師が、耳にタコが出来るほど、「話している人の目を見なさい」と繰り返していたように思うのだが、うちの子が通っていた小学校では、親も教師も教えてないのか?と思えるほど、目を見ない子が多かった。
特に低学年の子は、集中して話を聞き続けることができないので、話している途中にも集中が切れていると感じたら、その子に質問をしたり、またサインを出した。
これを繰り返すことで、話している人の目を見続ける習慣をつけさせることがある程度できた。
だから、説明する時間を多く取られて、実際にプレーの練習をする時間が削られたのだが、要点が伝わっていない話をいくらしても結局のところ一緒なので、まず、話をしている人の目を見る習慣付けを優先的にした時期を作ったのだ。
ただ、それでも長い時間集中して説明を聞き続けるのは難しいし、全部を覚えたり理解するのは難しい。
説明は出来るだけ3分以内、長くても5分以内で終わらせる。
もし、それよりも長くなるのなら、一旦そこまでの説明で区切った練習をして、それが理解出来てから、続きを話すようにしなければならない。
一般的によく言われる、「必要な無駄」と、「本当の無駄」を間違えないように留意が必要。
何かの説明や指示をして、子供たちが理解できなかったとき、説明に絶えず工夫をできるなら、その前の失敗は「必要な無駄」。
工夫せずに同じことを繰り返すのが「本当の無駄」。
子供たち、ひとりひとりの興味を引くために、ひとりひとりに話しかける時間は「必要な無駄」。
手っ取り早く興味を引くために大声で怒鳴り散らし、結局子供たちに不必要な緊張・ストレスを与えて、話を聞くための集中を削いで理解させることができずミスしたら、また怒鳴るのを繰り返す時間は「本当の無駄」。
基礎的な技術が出来ていないので、繰り返し指導するのは「必要な無駄」。
そのうち出来るようになるだろうと、基礎が出来ていない子に難しい技術を教えるのは「本当の無駄」。
失敗しても絶えず、それを活かせる努力をしたいものだ。
それを大人が見せることで、子供もそれに倣おうとするのだから。
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